2009年3月26日木曜日

鹿児島ダルク開設フォーラムに参加して

 大阪でも桜が咲き始めました。風が強く、東淀川駅からダルクに向う途中、
一枚の花びらがひらひらと舞っていました。桜の花の美しさ、潔さに、
この時期、いつも感動させてもらえます。
 ダルクの移転先が決まりました。来年は新たな場所で、
ダルク近くの桜からどんなメッセージを貰えるでしょう、、、。

 去る3月21日、昨年5月に開所された鹿児島ダルクの開設フォーラムに
なかまと参加して来ました。
 鹿児島ダルクは宮崎ダルクの施設長が、4年間の活動の上、
開所されたとの事。車で3時間かけ、通い続け、何もないところから、、。
逆風の中での準備だったと思います。
「信じて、行動して、委ねる。」ダルクで教えてもらう新しい生き方です。
 女性の入寮施設が少ない中、同じ女性のグループホームを
開いている大阪ダルクにとって、今後、交流が増えることと思います。

   開設フォーラムでの戸山さんの顔は清々しく、大勢の支援者、関係者
の方が参加されました。
 今回、自分はどうしても参加したい理由がありました。
21年前、東京ダルクで共に入寮し、本当に自分の我が儘を受け入れて、
サポートしてくれた河野さんに逢いたかったのです。
 名古屋に旅立つ時も、東京駅まで送ってくれた命の恩人のひとりです。
再開出来た喜びは言葉では言い表せません。
 近藤さん、外山さん、河野さん、ダルク創設期の3人の恩人に
今回、逢う事が出来ました。
 46才にもなると、自分の為に愛を持って、心から叱ってくれる人は
少なくなります。傲慢な自分には必要な出逢いでした。

   鹿児島に行ってもプログラムは変わりません。夜はNAミーティング、
2日目は鹿児島ダルクに朝から行き、ミーティングに参加させて
貰いました。そこは手作りの家具に囲まれた、愛を感じる場所でした。
 一緒に行ったアキラは、作ってくれたカレーを一杯食べ、
畳に寝転び、いびきをかいていました。安心できる場所なんだなぁって
嬉しくなりました。
 アキラとダルク近くの城山公園を歩きながら、12月1日に出逢い、
3月には二人で鹿児島に来て、散歩している。
予想もしていなかっった事が、通い続け、止め続けている中では
実現されて行きます。
 桜が満開でした。風は暖かく包んでくれました。
帰り道にトランプを買って、みんなで大富豪をしました。
笑い声が溢れていました。
 来て良かった。古いなかまとの繋がりの中で、
新しい出逢いが与えられます。自分一人の力は小さいけれど、
出逢いを重ねる度に、分かち合いの中で、勇気を貰えます。
 また、心の財産が増えました。
アキラもきっと、何かを感じて、得たものがあったと思います。
二人で清々しい気持ちで大阪の地に戻って来ました。
 今度はなかまと何処に行こうかな、、、。
三河ダルクのフォーラムが4月に待っています。
 
 宮崎、鹿児島ダルクのみんな、おめでとう。ありがとう、、、。



 

2009年3月24日火曜日

再びダルクへ

 「自分の力だけでは使わない事(回復)が出来ないと知り、

私たちより上の力の必要性を感じ、信じる」

ダルクのハンドブックに載っている一節です。
 自分が大阪ダルクに繋がったのは、丁度、一年前の事です。
当時の自分は精神病院から退院したばかりで、
担当医からダルクを勧められ、通所を始めました。
 しかし、入院により、ある程度の解毒が済んでいた事で、
薬物への欲求を全く感じなくなっていた自分は
「もう、治った。こんな施設に頼らずとも自分で充分
やっていける。」と思う様になり、僅か3週間で通所を
辞めました。
 恐ろしい勘違いです。幾度となく、嫌と言うほど
自分を騙し、欺き、裏切り続けて来た「自分自身」を、
またもや愚かにも、信じてしまったのです。
 当然、夏頃から強烈な欲求が、沸き起こり始めました。
それは、とても抑え難いものであり、その度に、
「ダルクに戻りたい、、、いや、もう受け入れて
貰えないだろうし、自力で止めてやる」と言うジレンマにも
似た考えが、頭を駆け巡り、後者を選び続けた結果、
12月、路上で自分は薬を握り締め、立ち尽していました。
 2月から約11ヶ月間、薬が抜けていたので、
少量で充分、効き目がありましたが、それで済まなくなって
行く事は、流石に解り切っている訳で、、、。
 ひとり、何度も欲求と闘いました。そして、判ったのは、
「ひとりで闘うと必ず負ける。それも、完膚なきまでに、
徹底的に、叩きのめされる。」と言う事でした。
 「断られたらどうしよう、、、。」
震えながら、携帯電話の発信ボタンを押したのを、
よく覚えています。
 しかし、その時、電話に出てくれたスタッフの言葉は、
「おお、久し振り。どうしてたん?」
と言うものでした。一年前、僅かの間しか通っていなかった
自分を覚えていてくれたのです。純粋な嬉しさと、
申し訳ない様な気持ちが、込み上げて来ました。
 そして、自分は再び、ダルクに繋がる事が出来たのです。
現在、自分は薬が止まって、約2ヶ月。
僅かな時間ではありますが、去年の自力で止めた11ヶ月
などとは、比べものにならない、貴重で大切な時間に思えます。
 大阪ダルクとスタッフ、そして、なかまに感謝!

                              Y











2009年3月12日木曜日

ディケアの引っ越し

 慣れ親しんだ東三国のディケアが移転します。
元レストランの丸テーブル、広い厨房。
ミーティングもし易く、みんなで昼食を作るスペースも
十分な、日当たりのいい場所、、、。
 夜中に空き巣に遭いました。3月末でこの場所ともお別れです。
色んな出逢い、想い出が一杯、詰まった安心できる 薬物依存者が集える受け皿です。
 今、新しい受け皿を求めて、探しています。
いい物件が有っても、なかなか見つかりません。
 自分自身も、以前、三河の地で40件程、物件を廻り、不動産屋を片っ端から
飛び込みました。「いい活動ですね。」「でもご近所の事を考えると、、。」
 近くに原発か米軍基地や精神病院が出来るかの様に、
皆さん、口を揃えて同じ理由で、断られ続けられました。
 諦め掛けた頃、ダルクに相応しい物件が与えられました。
今回も苦労の中で、きっと相応しい場所が与えられると 信じています。
 引っ越しの準備も始めるところです。
次の移転先が決まってませんが、、、。
 「今日だけ」信じて、行動して、委ねる。
 新しい生き方を始めるのには苦労のあとに、
素晴らしいことが与えられるものです。
 桜の花が咲く頃には、新しい受け皿が待っています。


 

2009年3月3日火曜日

拘置所メッセージ

 大阪ダルクに繋がって、早8年が経ちました。去年、何か自分に出来ることはないかと、
施設長に相談し、拘置所に収監されている薬物依存症者に、メッセージを運ぶ役割を
与えて頂きました。ダルクの存在を弁護士さんや、同じ房の人に聞いたという人が、
ダルクに手紙が送られてきて、その人達にダルクの説明や、自分も薬物依存者で
ある事、そして、自分の力で何をしても止められなかった薬が、ダルクに通って、
薬が止まっていったことなどを伝えています。
 刑務所にこれから行く方がほとんでですが、繋がる以前の私と同様、みんな不安で一杯
なのが伝わってきます。そして、本当に薬物を止めたいという気持ちが伝わってきます。
面会時間は短いので、お話できる時間は限られていますが、その後、手紙のやりとり
などをして、お話出来なかったことなどを綴っています。
 「不安で一杯だったけど、少し希望も見えてきて、出所したら、ダルクに行きます。」
などと聞くとやはり嬉しく思います。
 私は精神科のドクターに大阪ダルクを紹介してもらい、絶望のどん底から、
ダルクに通う内に希望が見えました。初めは薬物の止め方を教えて貰いたかったの
ですが、そんな物はなく、ただ、ダルクのプログラムは効いた事と、希望の溢れている
場所だという事を知ってもらえれば何よりです。
 何通もの手紙がダルクには来ます。本当にまだまだ苦しんでいる薬物に問題を
抱えた方がいてることを痛感しています。そんな中でもダルクに繋がれる人は、
一握りかも知れません。だからこそ、自分が救われたダルクという所を、一人でも
多くの人に伝えていければと思います。
 これまで面会して来た人、手紙のやりとりをしてる方が出所後、ダルクに
来てくれれば、それ程、嬉しいことはありません。
 そして、これからも面会に行く人にも、ダルクという所があることを知って
貰えれば幸いです。
                                            りゅう